我が家の次男は、食物アレルギーがありました。
過去形なのは、中学生になった時、ほぼほぼ完治したからです。
食物アレルギーの形は本当に人それぞれ。
それでも振り返れば、大変なだけではなく、良い点もあったように思えます。
今回は、受け止め方を変えたら気持ちが少し楽になった、我が家の食物アレルギーの話です。
食物アレルギーを初めて知る
実は、次男に食物アレルギーがあるなんて、思いもしませんでした。
長男、長女と、特に食べられない食品もなく育ててきたからです。
次男も順調に離乳食を進めていました。
ところが、卵ボーロを食べた直後に吐く、パンがゆを食べた直後に吐く、プリンを食べた直後に吐く。
そんな事が続き、初めて「あれ?」という違和感を感じ始めました。
体調が悪そうでもないし…
最初は本当に吐くだけ。
なんとなく気になり病院で相談したら、血液検査をすることに。
卵、乳、小麦に反応しました。
それでも、「そうなんだぁ」くらいで、あまり深刻に捉えていませんでした。
知らないって、怖いですよね。
食物アレルギーで初めての大失敗
検査後、私の実家へ行く事がありました。
まだ、食物アレルギーについての知識も浅く、症状が「吐く」くらい。
その為、あまり重く考えていませんでした。
その日、夕飯前に次男がつまみ食い。
「ハム」をむしゃむしゃ食べたのです。
10分程すると急に咳き込み始め、泣き出しました。
酷い咳に泣き叫ぶ息子。
みるみる顔が青ざめていきます。
何かすごく悪いことが起きている!と感じて怖くなり、すぐに救急車を呼びました。
息子の顔や体は蕁麻疹だとわからなかった程、真っ赤でパンパンに腫れ、酸素吸入を受けてぐったりとした様子。
自分の無知を本当に悔やみ、謝ることしかできませんでした。
この時、ハムに「卵」「乳」が入っていることを知ったのです。
そして、食物アレルギーで本当に命を落としてしまうかもしれない、ということも。
我が家の食物アレルギー治療の進め方
この時以降、失敗がないように色々勉強しました。
初めは治療らしいことはなく、除去のみ。
小麦は早くにOKとなりました。
ですが、卵と乳は負荷テストも出来ないと言われるほど。
混入がないよう気を使う日々でした。
4歳で腸からアレルギー物質を遮断する薬を飲み始めることに。
8歳で薬をやめて食べる治療に変えていきました。
そのため給食は完全除去で、私が作って持たせる形。
みんなと違うメニューじゃ可哀想に感じ…
給食と同じメニューを作って持たせていました。
6年生まで続いたので大変なことは大変。
ですが、料理の幅はかなり広がったと思います。
料理がさほど好きではなかった自分。
子どものためなら頑張れてしまうことにも驚きですが…
このことがきっかけで、色々な料理に挑戦する楽しさを知りました。
乳
我が家の場合、治療をスタートしたのは「乳」から。
一番最初は、含有量が低く、高温で加熱しているお菓子を食べました。
お菓子の含有量一覧リストを頂き、牛乳量を計算します。
段々と食べる量を増やしていきました。
ある程度、量を食べられるようになったら、実際の牛乳に変えます。
牛乳はスポイト半分量からスタートし、毎日飲まなければいけません。
2週間たったら量を1.3倍ほど増やし、また2週間。
そうやって、体に「これは敵じゃないよ、大丈夫だよ」って、教えてあげるんだそう。
量が増えたところで、完全に飲むことを止めて3週間。
負荷テストで確認しました。
体が慣れたと思っても、しばらく食べないと体が忘れてしまうことがあるそう。
再び攻撃してしまうことがあるらしく、その確認だそうです。
卵
「乳」がだいたいクリアできたら、今度は「卵」の入ったお菓子から同じように。
お菓子で、ある程度の量が食べれるようになったら、実際の「卵」を食べます。
実際の卵は、1gからと量が少ない。
その為、毎日作るのでは大変です。
そこで、卵焼きを作って量り、必要グラム分でカットし冷凍。
毎日食べられるようにしていました。
体が拒否するからか、息子は卵の味が嫌い。
凍らせた方が、呑み込めて良かったそうです。
ただ、量が増えると大きくなります。
その為、飲み込むのに一苦労していました。
乳の時と同じように、2週間で量を増やしながら進めていきます。
途中の負荷テストでは、アナフィラキシー症状が出てしまうことが多く。
本人も嫌がっていましたし、クリアが大変でした。
病院の先生によると、負荷テストでほとんどの子どもが「のどに石が詰まっているみたい」と言うそうです。
そして、味が嫌いな子どもがほとんどだと、おっしゃっていました。
次男も同様、味に苦戦しながらも、頑張って進めていきました。
やっと誤食があっても命の危険がないだろうとなり…
除去ではありますが、小学校6年生で初めて給食を開始。
中学校1年生入学時には、除去無しで給食を食べられるまでになりました。
マイナスをプラスに変えて
当時、食物アレルギーが彼にとって、負になってほしくない…
そんな想いがありました。
確かに、大変なことは多くあります。
子どもも、我慢したり寂しい気持ちになることが多くあったと思います。
けれど、きっとマイナスな事だけではないはず…
そう思い、プラスに捉えて息子へ伝えるようにしていました。
- アレルギーがあって外食できないけど、添加物のない安全な食事ができているよね。
- 家のご飯が1番おいしくて安全だね。
- 今は大変なこともあるけど、この食事があなたの体を作っていて、健康でいられるよ。
- アレルギーレシピのおかげで、お母さん料理の幅が広がったよ、ありがとう。
といった感じです。
特に料理に関しては、本当に色々作る機会ができて、バリエーションが広がりました。
家事で一番好きではない料理に、あんなにチャレンジできたのは、息子が喜ぶ顔を見たかったから。
楽しく取り組めたのは息子のお陰だと、本当に感謝です。
完治した息子の言葉から
ホッとするのは、息子がアレルギーで嫌だったことはあまり思い出せない、と言うことです。
「ま、不便はあったけどね」と、さらりと言うけれど、嫌な思いや我慢したことだってあったはず。
食物アレルギーは、ひとくくりに出来ないほど色々です。
当事者しかわからないことも、たくさんありますよね。
でもやっぱり私は、マイナスだけじゃないと思うのです。
次男は中学生から、給食で除去しなくてよいことになりました。
心配せずに食事を楽しめることは、本当に素晴らしいことです。
「これ、食べてみたかったんだ~」
嬉しそうに初めての物を食べる様子を見ると…
やっぱり我慢もしてきたよね…と思います。
でも彼なりに、マイナスをプラスに変えて受け止めてきたのだと感じるのです。
今まさに、大変な思いをしている食物アレルギーの子どもたちが大勢いると思います。
その子たちが、不安なく食事を楽しめるようになると良いな…
そう願うばかりです。